おながわ教室便り
宮城県女川町の女川教室より 工房や街のことなど、女川情報を隔月でお届けします。バックナンバーはこちら
【2021年12月号】
気が付けばもう12月ですね。最近はコロナ感染者が減っているので、県外からのお客様や修学旅行生が震災学習を兼ねて訪れてくださいます。
メディアにも多く取り上げられている「いのちの石碑」はご存知でしょうか? つい先日、最後となる21基目が女川中学校前に完成し、町内全ての浜に石碑が建ちました。今回はそちらをご紹介します。(女川教室 阿部由妃乃)
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「いのちの石碑」について・・・
震災直後に女川第一中学校(現在の女川中学校)に入学した生徒たちが中心となり、将来の津波被害を最小限にするため、また千年先にわたって未来の人々に自分たちと同じ辛い思いをさせたくない、という想いから始まった取り組み。
↓いのちの石碑プロジェクトホームページ
https://www.inotinosekihi.com/home
資金の1000万円は生徒たちが募金で集めました。
石碑は女川町内全ての浜に設置され、それぞれ生徒たちが考えたメッセージが刻まれています。
こちらは石浜地区の石碑。高台移転地の集会所前にあります。
「愛すべき 未来のために 我が道を」
石碑のデザインや文面も生徒たちが考えたもの。
裏には英語や中国語で同じ文面が刻まれています。
こちらは御前浜地区。奥に海が見えます。
石碑は全て各地区の津波到達地点より高い場所に建てられています。
「太平洋 女川町に牙をむく」
道路を挟んで右側が高台移転住宅地。
震災前もともと住宅地だったところは、今はこんな感じ。海がすぐ目の前です。
海は穏やかでとってもきれいでした~!
昔は海水浴場だったこともあり、夏にはビーチパラソルが並んで活気がありましたよ。
石碑はコバルトラインの道路脇にもあります。
「逢いたくて でも会えなくて 逢いたくて」
全ての石碑の碑文には、
ここは,津波が到達した地点なので,絶対に移動させないでください。もし,大きな地震が来たら,この石碑よりも上へ逃げてください。逃げない人がいても,無理やりにでも連れ出してください。家に戻ろうとしている人がいれば,絶対に引き止めてください。(一部抜粋)
と書かれています。
私は震災の時は町外にいたので実際の津波を見ていないのですが、ゾクゾクするほど想いや様子が伝わってきます。
命を守る教訓の石碑。当時中学生だった生徒たちの想いと一緒に多くの方に見ていただきたいです。
~ 女川いのちの石碑 碑文 ~
「夢だけは 壊せなかった 大震災」
東日本大震災で,多くの人々の尊い命が失われました。
震災後に起きた大津波によって,ふるさとは飲み込まれ,かけがえのないたくさんの宝物が奪われました。
「これから生まれてくる人たちに,あの悲しみ,あの苦しみを,再びあわせたくない!!」その願いで,
「千年後の命を守る」ための対策として
① 非常時に助け合うため,普段から絆を強くする。
② 高台にまちを作り,避難路を整備する。
③ 震災の記録を後世に残す。
を合言葉に,私たちはこの石碑を建てました。
ここは,津波が到達した地点なので,絶対に移動させないでください。
もし,大きな地震が来たら,この石碑よりも上へ逃げてください。
逃げない人がいても,無理やりにでも連れ出してください。
家に戻ろうとしている人がいれば,絶対に引き止めてください。
今,女川町は,どうなっていますか?
悲しみで涙を流す人が少しでも減り,笑顔溢れる町になることを祈り,そして信じています。
2014年3月 女川町立女川中学校卒業生一同