この銅像は画家のフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)です。
貧乏生活の中、毎日キャンバスを背負って絵の具を抱えて絵を描きに行っていたゴッホの姿。オーヴェール・シュル・オワーズという村にあるのですが、ゴッホが亡くなるまで滞在していた村です。
2004年にツアーで参加したフランスの旅の中で、「モネが晩年暮らしていたジヴェルニーとゴッホが暮らしていたオーヴェールを訪れる」という1日オプションがあり、それに参加した時の写真です。
2004年の話を今さら持ち出したのは、昨年ニースに住むいとこ夫婦と車で南仏の村めぐりの旅をした時、アルルに立ち寄ったことがきっかけでした。
ゴッホの人生が短命(37歳で没する)で、生きている間にほとんど絵が売れず、思い悩んで精神を病み、ピストル自殺したことなど、大まかなことは知っていました。
でもオーヴェールを実際に訪れ、ゴッホが見た風景、描いた風景とほぼ同じ場所に立ち、同じ風を感じ、終焉をむかえた家を目の前にすると、才能があるのに恵まれないゴッホがあまりにもかわいそうで悲しくなって、その日1日気分がどーんと落ち込んだことを今でも覚えています。
(左側は現存するオーヴェール教会、右側はゴッホの「オーヴェールの教会」、現地の立て看板を撮影したもの)
(上は当時麦畑だった場所、下はゴッホの「カラスのいる麦畑」、現地の立て看板を撮影)
しかもオーヴェールに行く前にモネの「睡蓮」で有名な色鮮やかな庭園があるジヴェルニーに行ってしまったため、その落差がよりゴッホの人生を悲しく見せてしまったのかもしれません。ゴッホとモネは同時代の画家なのです。恵まれないゴッホに対し、モネは現役中から売れっ子画家で、自庭に池や太鼓橋を作り、四季折々の草花を育て、晩年までそこで絵を描き続け、家族とともに幸せな人生を送ったとされています。
しかしゴッホの作品には「ひまわり」や「夜のカフェテラス」や「星月夜」など絵画に詳しくない人でも知っているような有名な作品がいくつもあるし、今やゴッホの名前を知らない人もいないくらい画家としては有名ですよね。
それはまさにゴッホの作品が素晴らしいからに尽きると思うのですが、ではなぜゴッホが生きていた時代には見向きもされなかったのでしょうか?
私が思うに、ゴッホの絵には強烈すぎる個性が詰まっていて、ゴッホのほとばしる情熱のようなものが溢れ出てしまっているからではないかと。時代によって流行る絵画は目まぐるしく変わります。当時の人々には受け止められないほどのエネルギーがゴッホの絵画の中には詰まっていたのだと私は思うのです。
それを実感したのが昨年のアルルへの旅でした。
アルルはゴッホが一番精力的に、夢中になって200点近くの作品を生み出した場所です。有名な「夜のカフェテラス」もここで制作され、モデルのカフェも現存しています。
(左側は現存するカフェ、右側はオランダのクレラーミュラー美術館で買った絵はがき)
ゴッホが描いた構図で実物をみてみると、私の目にはどこにでもあるフツーのカフェにしか見えなかったのです。夜ではなく、昼間に見たということもあるのかもしれませんが、ゴッホの目で見るとこのフツーのカフェはキャンバス上で生き生きと光放つのです。
「アルルの跳ね橋」は当時のものは解体されて復元された橋に変わってましたが、同じ場所に立って同じ風景を見ているとは思えないほどゴッホの絵には光とエネルギーがみなぎっているように感じました。
(左側は現存する橋、右側は前出の美術館で購入した絵はがき)
自分の感情をストレートに作品の中に投影できるのは素晴らしい才能です。しかも抽象画ではなく、実際に目の前にある現実の風景を描いているのに。誰にも真似できない色使いですよね。本当はゴッホが生きている間に評価されてほしかったですが、当時としてはいささか流行を先取りしすぎたのかもしれませんね。今やゴッホを知らない人はいないほど、作品の素晴らしさは世界中に認知されました。本人がこのことを知らないことだけが残念ですが、認められて本当に良かった!と心から思います。
なんだか大まじめなブログになってしましましたが。。。
コロナの影響で延期になっていた国立西洋美術館の「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」https://artexhibition.jp/london2020/が6/18から始まっています。アルルで描かれたゴッホの「ひまわり」も観られるようです。そしてモネの「睡蓮」も。
完全予約制でチケットはネット販売のみ、当日券はありません。混雑しない空間でたくさんの名画をじっくり観られるかと思うと今から楽しみです!<KY>